草加のスーパーでフードロス問題に取り組む 植田さんは、困っている人を助ける正義の味方に憧れていた。
- 2020年8月5日
- 植田全紀
草加でフードロス問題に取り組んでいるスーパーがあります。他にも変わった試みを行っており、福祉施設で作られたクッキーや、就労支援施設で作られたイラスト入りのエコバックを、手数料なしで代理販売しています。さらに売り上げの16%が子ども食堂に寄付される自動販売機を設置するなど、多様な社会貢献活動を行っています。そんなスーパーゼンエーを経営している植田さんってどんな方なのか会いに行ってみました。
社会に出てから成功すると思って働き始めた
大学の時、ゼミの先生に言われた一言で
学生時代は、高校にも大学にもほとんど行かずにゲームばかりして過ごしていました。先生をはじめ、会う大人達からは「お前はダメだ」とよく言われてきましたし、自分でも社会に適合できないだろうなって思っていました。組織にいるのも苦手でしたし、クラスのみんなで何かをやるのも嫌だと思っていたタイプだったので。
でも大学の時、ほとんど出ていなかったゼミの先生に「植田みたいな奴が、社会に出てから成功するんだよ。こういう奴が社会に出てから強いよ」というようなことを言われたんですよ。
その一言で「俺は社会では通用する」「俺はできるんだ」と思って就職しました。北関東を中心にチェーン展開をしているスーパーです。
入社した当時は、かなり意気込んでいたと思います。でも今思うと嫌がられていたんでしょうね。「(競合店と比べて)なぜうちはこの価格なのか?」「あれをやったらいいんじゃないですか?」と、競合店と比べて文句ばかり言っているような感じでしたから。
そのうち通勤に2時間かかるような遠い店舗に配属されるようになったりして、だんだん「俺が求めていたのは、こんなことじゃない」と思うようになっていきました。
経営コンサルタントに弟子入り
そんな時、たまたま自分が回っていたスーパーに、経営コンサルタントの人が来ていたんです。当時テレビのニュース番組で、スーパーマーケットを立て直すコーナーをやっていて、その番組に出ていた人でした。
すぐに「弟子入りさせてください!給料はいりませんから!」とお願いし、その先生のところに弟子入りすることにしました。実際はそれだと生活できないので、月額で固定のお給料をもらっていましたけれど。
朝4時に市場へ行き、スーパーの終わる夜の10時まで、土日関係なくずっと働いていました。先生はよく「人の三倍働け!」と言っていました。働いた時間とそこにかけた情熱で人は成長すると。そうやって、がむしゃらに働き、30歳の時に独立しました。先生からはそろそろ卒業だと言われていたのと、自分も結婚し子供が生まれるタイミングだったので、いつまでも弟子のお給料という訳にはいかなくなったんです。
それまでコンサルタントを担当していたスーパーから「うちの会社で働かないか?」という話もいくつかありました。でも「僕は自分でできるんで大丈夫です。」と断っていました。
スーパーのことを何も分かっていなかった
先生の元を離れ、独立することにしました。初めはスーパーの一部を借りて八百屋を始めましたが、お金を持ち逃げされたり、スーパー自体が撤退したりで、うまくいっていませんでした。
とうとう店を閉めるタイミングで、ここでスーパーをやりませんか?という話があり、思い切ってやることにしました。その時は、自分のお店もなくなってしまっていて、もう後には引けませんでした。
やりますと言ったものの、どこから仕入れているのかも分からなければ、何をしていいのかも分からなかったんです。
それまで、経営コンサルタントの先生が教えるのを脇で見ていただけで、スーパーや八百屋さんのことを、何も分かっていませんでした。
初めは、問屋さんから仕入れもさせてもらえませんでした。なのでとりあえず市場や現金問屋さんで売っているものを買い集めて営業していました。
なんとなくお客さんが来るようになってきたので、スーパーでの経験のある社員さんを入れてみることにしました。ですが、素人である社長の下で働くことに納得ができなかったようで、人がどんどん入れ替わっていきました。
社員さんと衝突して気づいたフードロスの問題
素人だから感じた違和感
そんな中で、仕入れや食品のことを調べていくうちに、三分の一ルールを知りました。
例えば、カップラーメンは店頭で買うと130円、市場で買うと118円、現金問屋で買うと98円なんです。
それは、賞味期限を3分割にして、最初の三分の一のタイミングでは市場へ、次の三分の一のタイミングでは現金問屋へ行くからだったんです。賞味期限によって流通が移っていくということも知らなくて、安く購入できる方がいいと思っていました。
社員さんたちからは「そんなものばかり売るからうちは駄物屋だと思われ、お客さんの信用がなくなるんだ」と言われていました。
そこで、え。駄物なの?って思ったんです。 もしかしてスーパーの人たちの常識と自分の常識は違うかもしれないなと。
普通に食べられるものを駄物扱いしたり、曲がったきゅうりをゴミみたいなものと言ったりすることに違和感を感じていました。それで、その社員さんたちが辞めて行ったのを機に、曲がったきゅうりも買うし、賞味期限の近い商品も買うことにしたんです。やりたいことをやろうと。
僕らが腐っているものを売ってしまうと、規格外のものは腐っていることになってしまう
曲がっててもいいじゃんと思っている人も多いと思うのですが、その扱いって本当に難しいなって思います。規格外の野菜、例えば少しでも傷がついているものって、痛みが早いんですよ。
実際お客さんからは、うちは鮮度が悪いと思われています。でも毎日市場から仕入れているので、鮮度は他のスーパーと一緒なんです。
ただ傷から傷んでいくので、鮮度は同じでも持ちが違ってくるんです。
規格外のものを売ると言っても、腐っているものを売りたいわけではないんです。僕らが腐っているものを売ってしまうと、規格外のものは腐っているってことになってしまうじゃないですか。それでは逆効果なんですよ。
通常の野菜を仕入れれば、袋に入れて3日くらい放っておいても良いんです。でも規格外のものは一つ一つ確認しながら、店頭に並べています。ほぼ毎日チェックしなければならないので、とても手間がかかっているんです。
規格外の野菜って、農家さんは畑に埋めているんです
うちの野菜は持ちが悪いと思われても、手間がかかっても、規格外の野菜を仕入れ続けているのは、農家さんは、規格外の野菜を普通に畑に埋めているんですよ。持っていってもお金にならないので。なので規格外の野菜が市場に出ているのはほんの一部です。大半は農家さんが畑に埋めてしまうんです。
だからそういったものを少しでもお金に変えられるように。少しでもそういったものの流通を確保していくために仕入れています。
将来的に、そういうことを大事にしておいた方が良かったなって思う時がくるような気がしているんですよ。
規格外の野菜を売るもう一つの理由
そもそもスーパーやらなくていいって思っているんですよ
自分は今スーパーをやっているけれど、必ずしもここにある必要もないし、他にいいスーパーがあるので自分がやる必要もない。そもそもスーパーをやらなくていいって思っていたんです。
そんな時、バングラディッシュで自分で学校を作って現地の教育環境を整えている日本人がテレビで取り上げられているのを見た時、衝撃を受けました。
昔から、困っている人を助ける正義の味方にすごい憧れがあったけれど、困っている人たちを助けるなんてことは、社会に出て、現実の世界ではできないものなんだって思っていたんです。
でもその人は、自分で仕事もしながら社会貢献していたので「すごい!この人!」って。そしてなんか、やってもいいんだなって思って、自分もスーパーをやっている中で何かできることはないかな?と考えてみました。
そこで食品業界の中ではフードロスという問題がある。食料があるのが今の日本では当たり前になっているかもしれないけれど、いつまでその当たり前が続くかなんて分からない。
フードロスの問題を解決する動きが、何かに貢献できるかもしれない。そうだとしたら、俺、やってる意味あるじゃんって。スーパーなんてやっている意味ないけれど、そうやって取り組んだ方が楽しそうだなって。
真っ直ぐな思いを話す植田さんの言葉は迷いがなく、共感できることばかりでした。お客さんにその思いが広く伝われば、世の中の意識も変わっていくかもしれない。インタビューの途中で、就労支援施設の子供達が書いた植田さんへの感謝の手紙がたくさん渡されていたのを見て、子ども達にとって既に植田さんは「正義の味方」なんじゃないかな?と、そんなことを思いました。
インタビュー場所
生鮮スーパー ゼンエー 〒340-0055 埼玉県草加市清門2丁目42−14
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