私だからできることを、表現していきたい

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新潟県長岡市出身の岡本朱里さんは、ダンスの専門学校に入学するため上京し、卒業後、ダンスの仕事を続けてきました。
コロナの自粛期間に草加の街と関わりを持ち始め、さまざまな経験を機に、働き方、生き方の意識が変わったと言います。そんな朱里さんの、ダンスへの想い、これから表現していきたいことなど、たくさんお話を聞くことができました。

 

「あかり」を演じていたところがあった

新潟県長岡市出身で、三人兄弟の末っ子です。子供の頃は典型的な末っ子気質で、よく近所の友達の家に上がらせてもらっては、おやつをもらったりしていました。何十年もたった今でも、母はときどきスーパーで近所の人に会うと「あかりちゃんがよく家に来ていたわ」なんて言われているみたいです(笑)

「あかり」という名前のイメージ通り、元気で明るい子供でしたが、当時は子供ながらに「あかり」を演じていたところがあったのかもしれない。「私は明るくしていなきゃ!」という思いが、心のどこかにありました。

今思うと、家の中にいる時は気を遣っていたなと思います。無意識だったんですけどね。両親や兄や姉の顔色を伺っていて、誰かの機嫌が悪かったりする時は、自分が場を和ませようとしていました。

「手がかからない子だった」と親からは言われたりするのですが、意識が家の外に向いていたんだと思います。当時は家の中より外にいる方が自由だと感じていました。

 

東京行きを勧めてくれた彩子先生との出会い

小学校4年生の時からダンススクールでダンスを習い始めました。当時SPEEDが好きでダンスをやってみたいと思ったんです。

そのダンススクールを経営していた彩子先生との出会いが自分にとっては大きかったと思います。
とにかく先生に憧れていて「先生みたいになりたい」って思っていました。それを先生も気付いていたのか、発表会の前など練習で遅くなる時は、家に泊まらせてくれたりして、本当に良くしていただきました。

でも、先生に憧れて、先生のマネをして「先生みたいだね」って言われ続けるうちに、だんだん嫌になってくるんですよ。以前はそれが嬉しくて誇らしかったのですが、先生のマネではなく「自分になりたい」って思うようになっていったんです。それもあってか、高校生の時は、保育士になろうって思っていました。ダンスを職業にできるイメージも持てなかったですし、子供が好きだったので。
 

そんな時「東京でダンスやるっていう選択肢もあるんだよ」というようなことを、彩子先生が言ってくれたんです。一応、地元では一番踊れていたので、そこから「東京へ行く」ということを意識するようになっていきました。当時、月一で来ていた東京の先生が教えている専門学校を見学しに行ったりするうちに「ダンサーになろう!」という気持ちが強くなっていきました。

 

ダンスで自立したいと思っていた

東京のダンスの専門学校を卒業してからは、フリーランスとして自分で仕事を取って働いていました。通っていた専門学校は、当時はまだ新しい学校だったので卒業後の働き先のサポートは無く、先輩からの紹介や、自分で仕事を探したりしていました。
初めは、アルバイトと掛け持ちでダンススタジオやフィットネスクラブで教えていました。また、積極的に、演者としてダンスイベントや舞台にも出演していました。

 
実家の両親からは、23歳までに食べていけないようならやめなさいと言われていたので「ダンスで自立したい」という思いが強くありました。
専門学校ではジャンルを問わずなんでも学ぶので、バレエやコンテンポラリーからヒップホップまで、オールマイティーにできるんです。だから、ダンスに関わることであれば「できない」とは言わず、いただいた仕事は全部やろうと決めていました。
 
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働き方を見直すようになった

ですが、がむしゃらに仕事を取って、なんでもこなすという働き方は限界があるように感じました。
それまで、なんとなく仕事を受けていたようなところがあったのですが、25歳くらいのときから、きちんと稼げるよう、振り付けの仕事や定期的に学校などで教えるような仕事に切り替えていったんです。

その頃からアイドルの振り付けの仕事を受け始め、自分が演者として踊るというよりは、育成の仕事がメインになっていきました。

専属で担当していたアイドルグループは、しっかりとした事務所だったので、定期的にレッスンを行い、新しい曲ができる度に振り付けを担当していました。アイドル業界は、ダンサーという職業としての仕事の選択肢が広がる業界だなと感じました。

 

草加に住み始めた頃は、駅と家の往復だけの生活

草加は、なんの縁もゆかりもない土地でした。
ダンサーの旦那さんとの結婚を機に、旦那さんの実家が西新井なので近隣に仲間が多いこと、単純に家賃が安くて便利、という理由で草加を選びました。
車があって、休日はキャンプに行くような生活をしたかったので、金銭的に都内では無理だろうというのが理由です。

引っ越してからしばらくは、草加駅と家の往復だけでした。
でも去年、コロナの自粛期間の2ヶ月、二人とも仕事に行けなくなってしまった時に、初めて自分が住んでいる周りを散歩するようになったんです。時間があったので、まつばら綾瀬川公園の橋の上で二人で踊ったりもしていました(笑)

それがきっかけで、旧日光街道沿いに素敵なお店があるってことに気づき、草加って意外と可愛いお店やいいお店があるんだねって、旦那さんと話していました。最近ではすっかり草加に馴染み、行きつけのお店も増えました。SNSに投稿した、草加散歩シリーズを見てくれた友達が草加の魅力を感じて遊びに来てくれるのも嬉しいです。
 

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気負わずダンスが身近にある環境に

自分の人生の中で、ダンスは絶対に失くしてはいけないものとは思っているんですけど、じゃあダンサーとしてどうありたいか?という具体的なものが自分の中にずっとなかったんです。「ダンスで食べていかなければならない」それだけでやってきていました。
 
でもダンサーの旦那さんと出会って、「彼と出会うためにダンスをしてきたんだ」と思えたら、何者になろうとしなくても良いのかなと肩の荷がすぅーと軽くなりました。

 
ダンスに対して、以前ほど、執着や束縛がなくなったというか。例えば、料理とか、写真を撮るとか、文章を書くとか、他のことで表現してもいいのかな?って思えるようになったんです。大事なのは「私だからできること」なんじゃないかって。
 
最近は、暮らしを丁寧にすることで、ダンスにとっても必要な「感性」が豊かになったなと感じています。
今までの経験も含めて「私だからできること」を探しているところです。
 

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本来の自分に帰る

今はダンスの仕事をセーブしています。
今までは、東京に揉まれて自分を見失っていたのかもしれない。「ここでダンスで生きていかなきゃ」っていう気持ちが強すぎて、負けないように頑張ってきたんですけど、旦那さんと出会ったり、コロナで時間が出来たりして、本来の自分を見つめたら、ダンス業界だけに固執することが、やりたいことではないのかもしれないなって。

 
小さい頃、母親の知らないところで、勝手に外に出て地域の人たちや大人たちと遊んだり関わったりしていた、その姿が本来の自分なんじゃないかって。
 
その頃は、きちんと周りの人たちと信頼関係を築くことができていたんです。でも東京に来て仕事をがむしゃらに頑張ってたら、いつの間にか自信を無くしていて、自分を大切に出来なくなり、人の言葉や反応を窺うようになっていました。だからか信頼関係はすごく気薄で、ずっと寂しくて自分がフワフワ浮いたように感じていました。
 
自分で言うのもなんですが、本来「素直な田舎の子」なんですよね(笑)
 
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直感を信じて歩み始める

今は、まちづくりや地域の活動を始めているところです。
草加八幡町にあるシェアアトリエつなぐばで、これまでおこなってきた「みんなで坐禅の日」のワークショップを、今後、月に1〜2回と、頻度を増やしていく予定です。
 
よく「ダンサーなのに坐禅?」って不思議がられるんですけど、私にとって至って自然で必要なことなんです。ダンスって踊りを磨くのと同じくらい自分と向き合い、自分を知ることが大切で、20代の頃は踊りの練習ばっかしてましたが、30代になって内側の声を聞くこと、五感で感じることを意識して過ごしています。それには坐禅はもってこいなんです。時間さえつくれば誰でもどこでも簡単に出来る。ダンサーはルーティンでやっている方多いと思います。
 
もちろんダンサーだけでなく、一般の人にとっても身体の声を聞いて自分を知ることって大事なことなんじゃないかって思うんです。最初は5分でもいいんです。何もせずただ目を瞑る。耳を澄まして、季節を香り、肌で風を感じる。日常に自分の為の時間をつくるということ。坐禅はあくまで、それを伝える為のツール。
 この活動も、いち田舎娘がダンサーとして歩んできた、私だからできることだと思っています。

 
 
坐禅のワークショップを始めたきっかけは、ひとりもいいけどみんなでやってみたい!そんな単純な閃きからでした。しかし、回を重ねて感じたのは、「みんなで坐禅の日」は今私が一番必要なんだと。頭を休めると、日常に溢れる小さな幸せに気づけるようになりました。なので、これからも大切にしていきたいです。この活動を通して感じた想いや、出逢いを大切にして、焦らず流れに身をまかせ、直感を信じてひとつひとつ愉しみながら歩んでいこうと思っています。
 
いつか自分の住むまちで、子供も大人も知ってる人も知らない人も輪になって自由に楽しく踊る空間をまた日常に戻したい。それが、私の夢のひとつです。

 
 


ダンサーである旦那さんがダンスを教えていて、朱里さん自身もお世話になっているという川口のダンススタジオ「Studio Whip Cream」での取材でした。業界の人っぽいルックスからは、似つかわしくない「まちづくり」「地域」といった言葉に、心地よいギャップを感じました。真っ直ぐな眼差しと、真っ直ぐな言葉が印象的な朱里さん。自分のこれまでとこれからについて、真剣に向き合い一つずつ言葉にしていただきました。草加の地で、次のステージに向かうタイミングでのお話。彼女の覚悟が伝わってきました。
 
 

取材場所

Studio Whip Cream〒334-0055 埼玉県川口市安行小山444

 

この記事の撮影

カメラマン

吉田記子