五家宝を知ってもらうためにも、新しいことにチャレンジしていく

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草加市の隣、八潮市にある「五家宝」専門に作る藤田製菓の三代目 藤田博晃さんは、埼玉の銘菓「五家宝」をアップデートした「フジタライスパフヌガー」を作り出しました。上野駅や東京駅の「のもの」や、イオンの埼玉フェアでも取り扱いがあった商品を開発した藤田さんに、なぜ新しいものを作ろうと思ったのか?今の形に行き着いた経緯など、たくさんお話を伺いました。


五家宝を作り続けている会社

五家宝(ごかぼう)って知っています?
若い人は知らない方が多いのですが、埼玉の三大銘菓とも言われているんです。よく「おばあちゃん家で食べたことがある」なんて言われている昔からあるお菓子です。
 
現在、熊谷市を中心に五家宝を製造している会社がありますが、大規模なところでは機械で作っていることが多い中、うちの会社は1952年の創業以来ずっと、全ての工程を手で作る「手のし」にこだわって五家宝を作っています。僕は、15年ほど前の22歳の時に会社に入り、去年、先代の父親が亡くなったタイミングで三代目として継ぐことになりました。
 

格闘技を始めて

学生の頃は、暗黒の時代というか(笑)休み時間、みんなが外でサッカーをしている時、いつも教室の隅でプロレスごっこをしているような子供でした。オオハシくんっていう子が、いつもプロレスごっこに付き合ってくれていたんです。「あいつら、いつもくっついていて気持ち悪い」って思われているようなタイプでした。
 
18歳から総合格闘技のジムに通い始めました。僕は体が大きくはないのでプロレスはできないと思っていたのですが、当時、総合格闘技で桜庭和志という選手がすごく活躍していたのを見て影響を受けてしまって。
 
それまで格闘技につながるようなスポーツをしてきた訳ではなかったのですが、練習は楽しかったですね。暗黒の学生時代を経て格闘技を始めてから、自分なりに良い感じになってきたかなって思っています。
 
練習を続けていると、ジムで一緒に練習している仲間がどんどんプロになっていくんですよ。「僕もやってみたいな」と思って、修斗という団体のプロの試合にも出させてもらっていました。引退表明をしたわけではないのですが、ここ6年くらいは試合には出ていないんですけどね。
 
だから、22歳でこの会社に入ったのも、正直なところ「格闘技の練習をするのに実家で働いていた方が融通がきくこともあるだろう」というのが理由でした。その時は、家業を継ぐかどうかを真剣には考えていなかったと思います。
 

新しいことをしなければいけないと思った

ずっと格闘技の練習と仕事を両立してきたのですが、何年か前から、だんだん五家宝の売り上げが落ちているのを感じていました。
「どうにかしないと」と思いつつ、何をすれば良いのか分からないまま、売り上げが下がっていくのを見ているだけでした。
 
そんな時、東京菓業青年会に参加するようになって、色々と刺激を受けたんです。その青年会は、お菓子の会社の二代目・三代目が情報交換をする場で、自分と同じような境遇の人が集まっていました。

僕より若い子が、伝統のお菓子を今風にアレンジしたものを作っていたり、参加しているみんなが、どんどん新しいことに取り組んでいたので、自分もやらなければいけないという思いが強くなっていきました。中には、東京駅や上野駅のショップに置かせてもらっている人もいて影響を受けましたね。こっちからすると「東京駅に置かせてもらえるなんてすごいな」って感じでしたので。
 
新しい商品を作ると決めた時、作る工程は変えずに新しいものを作ろうと思っていました。すでに持っている「手のし」の技術は生かしていこうと。それと、五家宝の食感ってちょっと珍しいんじゃないかと思っているので、そこは失わないようにしつつ、味は敢えて五家宝とはかけ離れたものを作りたいと考えていました。
 
どうしても五家宝ってきなこの味が強く出てしまうんですよね。そこが一番苦労したところです。食べてみるとわかると思いますが、五家宝っぽい味ではないと思います。僕の子供はきなこが嫌いなので普通の五家宝は食べられないのですが、パフヌガーは好きなんですよ(笑)
 
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ライスパフヌガー誕生まで

新しい商品を作るのに試行錯誤していた時、味を決めている段階から、以前から取引のあった問屋さんに相談していました。その問屋さんとは、ずっと仲良くさせてもらっていて、昔から「新しい、尖った商品を作ってみませんか?」と勧められていたので、色々と相談に乗ってくれたんです。
 
なので、商品が完成した時、パッケージやネーミングなどのブランディングを、その問屋さんにお願いすることにしました。その方は営業だけでなくデザインもできる方だったので。
色々と知恵をいただきながら新しいパッケージも決まり、五家宝をアップデートした商品として「フジタライスパフヌガー」が出来ました。
 
新しい商品を売り出すために、直接お客さんに販売することも増えていきました。それまで取引していたのは、ほとんど問屋さんだったので、初めての試みでした。対面販売してみることを、その問屋さんに相談したところ、五家宝の形の帽子や、Tシャツまで作ってくれたんですよ。目立った方がいいだろうって。これは販促用に作ったTシャツですが、お客さんの中には「欲しい」という方がいたりして、想像していないことが起こったりするので面白いですね。
 
本当に色々な方の協力で、商品になったんだなって改めて思います。
 
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家業を継ぐことと、伝承について

先代から「継いで欲しい」というプレッシャーはありませんでした。強要されたこともないですし。
自分としては、仕事を続けていくうちに、なんとなくこのまま継ぐことになるんだろうなとは思っていました。売り上げが減って「どうにかしないと」と思っていた時は、もう継ぐつもりでいました。
 
先代は、僕が新しい商品を作ろうとしていたことは知っていました。でも一緒にいると衝突してしまうこともあったので、あまりお互いそのことには触れないようにしていたんです。なので新しい商品は、自分が強引に推し進めてしまったような形で作りました。
 
どう思っていたんでしょうね? 今、振り返ると、特に何も言われていなかったんですよね。
 
定番の五家宝の味は、二代に渡って残してくれたものなので残していきたいですし、それを知ってもらう入り口として「ライスパフヌガー」が広まっていったらと思っています。
 
昔ながらの「手のし」で作ることは、僕も続けていこうと思っているんです。それがこだわりと言えばこだわりですし、逆に人の手で作っているからこそ、新しい商品にチャレンジし易いんですよ。
 
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人に恵まれていると思う

自分は、交流している人の数は少ない方だと思うのですが、関わっている人たちには本当に恵まれていると思います。
東京菓業青年会の人たちや、問屋さんはもちろん、格闘家の仲間も協力してくれるんですよ。なんていうか、僕って何にも持っていないんですけど、格闘技があって、試合にも出させてもらって、仲間や応援してくれる人がいて、その人たちがTwitterやYouTube(紹介されている動画)で僕の商品の宣伝をしてくれるんです。ありがたいことです。
 
これからは、もっと自分から新しい交流を作って「ライスパフヌガー」や五家宝を広めていきたいですね。五家宝は、埼玉県の銘菓とされているのに、今まであまり地域の人に対してアピールしてこなかったんです。地域の人たちへもどんどんアピールして、将来的にはこの地域の特産品のようなものになったらいいなと思っています。
 
そのためにも、新しいこともしていきたいですね。伝統的な五家宝を守ることはもちろんですが、でもそれだけでは商売をしていても面白くないですし、やっぱり新しいことをやっていかないと、どんどん廃れていってしまうと思うんですよね。
 
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五家宝が「手のし」で作られる工程を見学させていただきました。あっという間に、塊だったものが細長い棒状にのばされていく様子に、職人の凄さを感じました。藤田さん自身は「人に恵まれている」とおっしゃっていましたが、働いている職人さんたちの表情からも、藤田さんの人柄が色々なところに派生して、影響を与えあっているんだろうなと感じた取材でした。
 
 

取材場所

藤田製菓有限会社 〒340-0832 ​埼玉県八潮市大字柳之宮133−4

 

この記事の撮影

カメラマン

吉田記子