草加は、場を持つことで今まで知らなかった人や仕事につながる楽しさを教えてくれた場所。
- 2020年7月20日
- 金澤萌
新田駅東口の新田ふれあいロード商店街沿いにあるLEAD。この場所は現在、不定期にワークショップを開催したりして、ものを作ることの好きな人が集まる場になっています。左官屋さんの金澤さんに、この場所を作ることになった経緯と、現在の2拠点生活について聞いてみました。
職人としての経験をより多く積みたかった
女性は多くの仕事をやらせてもらえなかった
もともと職人に憧れていたので「ものつくり大学」へ進学するため広島県から上京しました。大学は4年間で、設計・構造・法律などの座学から、職人になるための実技までを学べる大学でした。自分はその一期生です。
一通りのことを学ぶ中で、こてを使って、壁や床などを塗り仕上げる「左官」の授業が面白くて、4年生の時にインターンとして入った左官の会社に、そのまま就職しました。
その会社は、当時女性の職人を育てることを売りにしていた会社だったのですが、それでもやはり、やらせてもらえない仕事もありました。それで「なんでもやります!」と、率先してたくさん仕事を入れていました。今考えるとかなりハードだったと思いますが、当時はそのハードさを望んでいました。
会社というものを学んだ
ハードに仕事を続けていたのですが、働き方の制度が変わり、それができなくなっていきました。バリバリ働くのが当たり前だったのが、どんどん休みなさいという方針に変わっていきました。それでも自分は、たくさん仕事をして早く経験を積みたいと思っていました。
そんな時、同じ会社にいた先輩が独立したいというので、ついていくことにしました。
当時、学生時代の友人から仕事の相談を受けることがあったので、仕事はなんとかなるだろうと思っていました。でも、友人からのルートだけではそれほど多くの仕事は来なかったんです。先輩である親方も「ザ・職人」のような人で、人と話をしたりするのが苦手なタイプでした。
なので、自分で仕事を取ってきていました。
今考えると当時若かったと思うのですが、たくさん仕事をしたかったので自分で営業をしていました。親方も自分も昼夜問わず仕事をすることが当たり前でしたので「いつでもなんでもやります!」というスタイルで営業していたら仕事が取れるようになっていったんです。
しかも、営業して、現場を納めて、お金の流れも把握して、というような一連の流れを理解することができるようになっていったのが、すごく面白かったんですよ。
会社というものの仕組みを知らないまま会社を始めて、実践しながら学んでいったという感じでした。始めは経費がなんなのかすらもわかっていなかったんです。笑
出産を機に独立
親方と一緒に仕事を始めてから2年後に出産しました。そこで一旦仕事のペースを落とします。出産後に仕事を再開するのですが、保育園から突然呼び出されるなど予定通りにできないことが多々あり、親方に申し訳ないという気持ちがだんだん大きくなっていきました。
いずれ独立したいというのも親方は知っていたので、このタイミングかな?と思いました。
LEADができるまで
開業した当時は川口の自宅を拠点に仕事をしていました。ただ子育て中は、あまり現場の仕事に行けないことはわかっていました。
大学とはずっと接点があって、大学や高校でのワークショップの依頼を受けていました。当時は現場の仕事を受けられなかったので、ワークショップのできる場所があれば仕事になるし、それに自分のペースで仕事ができるんじゃないかと思うようになりました。
それでこの場所を見つけたんです。ここは再開発が始まるまでの期限付き物件でした。なので新田駅前なのに割安で、いずれ取り壊すので内装を自由に変えてよかったんです。住まいは川口市ですが、新田は最寄駅でしたのでここに決めました。
当時はDIYの本を出版しようとしている人とつながっていて、その人たちにDIYのノウハウを教えていました。そのことを自分のBlogで公開していたら意外と多くの問い合わせがあり、一般の方にむけたDIYワークショップの需要があることもわかってきました。
実は当時教えていた人たちは、現在DIYの業界で活躍しているんですよ。7年前の当時はDIYが今ほど流行していなかったので、その頃に興味があった人は先を行っていたのか、今ではその業界では名前の通った人になっていたりします。
LEADによって人と繋がっていった
拠点を構えることによって、打ち合わせができたり、自然とお客さんからの相談を受けたりすることができるようになりました。それに外向きのワークショップだけでなく、左官仲間と情報交換をしたり、新しい材料を試す実験の場としても活用することができたんです。
また当時、待機児童の問題が騒がれていた時だったのですが、自宅で仕事をしていると「あの人は仕事をしていないのになぜ子供を預けているの?」という目がありました。でも、ここにいれば仕事をしていると見てくれるんですよね。自分にとってここは「隠れ家」みたいな場所でした。
しばらくすると、周りの人から「ここって何屋さんだかわからない」と思われていたことに気づきました。たまに近所の人が入ってきたりしていたんです。恐る恐ると。
その後、近くのクリエイターさんと一緒にイベントをしたりするうちに、どんどん近隣の人たちとつながっていきました。それが最終的には「つくりにおいでよ」という商店街を巻き込んだイベントまでになったんです。
イベントやワークショップで知り合った人たちが集まっていくにつれて、ここは「つくる」ことが好きな人たちが繋がる場になっていきました。そして今では、ここで繋がった人たちが作った作品の販売や、素材の販売、ワークショップなどができる場となっています。
もともとは自分のペースで仕事をするために構えた拠点ですが、気づいたら周りの人が来て、そこから色々な人とつながっていました。それも含めて拠点を持つことって面白いなと。そして、LEADを利用している人たちにも、繋がることの楽しさを感じてもらえたら嬉しいですね。
二拠点生活
子供が小3になるのがタイムリミット
子供が生まれた時からなんとなく考えていました。自分は仕事をし続けたいと思っていたのですが、子育てと仕事の両立は限界があることを実感していました。何かあったら実家に頼める場所に引っ越したいとずっと思っていました。
自分が、小6での引っ越しがすごく嫌だったんです。例えば、卒業アルバムも全然知らないことしか載っていないことになるじゃないですか。どちらの学校にも思い出を残すには小3がタイムリミットだと決めていました。
住人目線でまちづくりに関わりたい
2拠点生活を始めて一年経ちます。広島県の廿日市市の小さな商店街のあるエリアと、草加との2拠点で生活をしています。拠点を選ぶ際、条件となったのは、いざとなったら実家に行ける場所ということだけでした。今の住まいから実家までは車で1時間くらいと、それほど近いわけではないんです。純粋に住みたいエリアを選びました。
商店街があるところがいいなとは、ぼんやり思っていたんです。
LEADのある商店街でイベントをやっていた時、商店街を盛り上げようとしていた時期がありました。けれど既に再開発が決まっている中で、継続するつもりのお店はわずかでした。みなさん廃業すること前提で営業をしている状態でした。
当時は、自分も拠点を移すことを考えていた時期だったので、そんな人がいくら盛り上げようとしても限界がありました。
あれこれとやろうとしてできなかったことがあります。結局逃げたような形になってしまうのが気になっていました。
今度こそ、住人目線でちゃんと関わっていきたいって思っているんです。
場を持つことでつながることがわかった
いつまでLEADの場を持っていられるか分からないけれど、再開発が始まって撤退しなければならなくなるまで見届けることは決めました。
現在は、自分が不在の時も店長である佐藤が、子育てと両立しながらこの場所を守ってくれています。ワークショップはもちろん、他にも色々な企画をしていて、例えば「素材の日」「本の日」「カフェの日」と、用途をわかりやすくすることにより、利用者が広がるような試みを増やしてくれています。また、営業日以外でも雑貨、素材の購入ができるようにと、ネットショップを開業してくれました。LEADを継続できているのは、彼女の協力があってこそだと思っています。
広島でも、自宅の倉庫に拠点となるような場を作っているんです。
LEADのような拠点を持つことによって色々な人やコトと繋がっていくことがわかってきましたし、そのやり方が自分に合っていると感じています。繋がる人が増えることによって、自分は色々なことをしてしまいがちですが、あくまでも自分は左官屋さんだと思っています。そう思って色々な人と接していると、最終的にはちゃんと左官の仕事につながるんですよね。
自ら環境を変えて自らそこに適応させていく。まるで開拓者のような人だなと感じるとともに、お話を聞く中で、その時期ごとにある社会の問題と真正面から向き合っている。そんなイメージを受けました。いつも人の先を行っているような彼女のこれからにも注目していきたいなと思いました。
インタビュー場所
LEAD 〒340-0052 埼玉県草加市 金明町292 2F
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