草加には10年ほど住んでいますが、独立して初めて草加にこんなに飲食のお店があることを知りました。

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小林義崇さんが13年間勤めていた国税局を辞め、フリーのライターとして独立したのは三年前の2017年。

なぜ安定した公務員を辞め、フリーランスになろうと思ったのか? また、この三年間、草加でフリーランス として暮らしてきたことで、街に対する思いがどう変わったのかを聞いてみました。


フリーライター という生き方に辿り着いたのは?

震災後、初めての出社日に会社に来ていなかったのは自分だけだった。

公務員になって10年くらい経った時、なんとなく「この先もこのまま仕事を続けていくのだろうか?」という気持ちになることがありました。そう感じるようになった理由は色々とあると思いますが、東日本大震災の時のこんな出来事も、その理由の一つなのかもしれません。

 

震災があったのは金曜日の午後でしたので、次に出社するのは翌週の月曜日でした。その日はまだ電車が途中まで止まっていて、草加から二つ先の竹の塚駅まで歩いていかなければ電車に乗ることができませんでした。なので、周りのサラリーマンの人たちについていくような形で、竹の塚駅へと歩きはじめました。けれど一つ目の駅、谷塚駅まで歩いたところで、不意に「面倒だな」と感じてしまい、上司に「電車が止まっている」と連絡し、その日は会社を休んでしまいました。

それまで、会社を休むことなどなかったので、なぜそうしたのかは分かりません。後に、その日に会社に来ていなかったのは自分だけだったと知ったのですが、もしかしたら、その時の出来事が、働き方とか生き方みたいなものを見直すことにつながったのかもしれないですね。

 

ビジネススクールで気づいたことは「起業なんてどうでもいい」ということだった。

2013年、都内で行っていたビジネスコンテストに参加しました。そのコンテストとは、チームで一つの起業プランを考えて、プレゼンをするという内容のイベントだったのですが、その時の体験は、当時の自分にとって、とても新鮮なものでした。異業種の人たちと一緒に一つのものを作り上げるなんてことを、それまで経験したことがなかったものですから。

その後、「起業」という働き方を意識しはじめたのか、自分たちで作った起業プランを形にするため、ビジネススクールに参加してみることにしました。

ところが、そこで原体験ワークという、自分の原体験を掘り起こすワークをした時「自分は起業なんかどうでもいいんだな」と気づいてしまって、余計迷子になってしまったんですよね。

原体験ワークとは、大きな模造紙に、子供のころにあった出来事や、感じたことを書いていくワークでした。みんなそれぞれ、今やろうとしているビジネスにつながるエピソードが出てくるんですけど、自分にはそれが全然なく「文章を読むことや書くことが好きだった。」というものでした。

その時感じたのは、子供の頃からそれまで全く意識したことはなかったのですが、自分はもしかして小説をやりたいんじゃないかな?ということでした。

 

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ライター塾に通いはじめた時は、ライターになるとは思っていなかった。

とはいえ、小説で食べていけるイメージは全くありませんでした。何をしたら良いか分からないものの、当時は、世間で言われている「35歳の壁」を意識していたように思います。働き方を変えるのであれば、35歳までに何かをつかみたいと思っていたのかもしれません。

そんなとき、本屋でたまたま手にとった本が、のちに師匠となる上阪徹さんの「職業、ブックライター」というビジネス書でした。

その本には、

ブックライターの仕事は、(中略)さまざまな著者とのコラボレーションによって、世の中に新しい価値と幸福を提供する書籍を作り上げる仕事です。  それは、読者に対してだけでなく、自分では文章を書かない著者にとっても、大きな意味があると私は思っています。なぜならブックライターがいなければ、本は世の中に出なかった、あるいは出版にもっともっと大変な時間がかかってしまった可能性があるから。

という内容が、書かれていました。

その本を読んだ時に、何かすごく「やってみたい」「興味がある」と思い、上阪さんご本人のfacebookページを見つけ、メッセージを送ってみました。今思えば、ずいぶん大胆なことをしましたよね。それをきっかけに上阪さん主催のライター塾に参加する流れとなりました。

ただ、そのときは、ライターになると決めていたわけではなく、ダメでも公務員の仕事にも活きてくるだろうくらいの感覚でした。

それから、徐々に懇親会などを通して、ライターの方や編集者の方と繋がりができ、話を聞いているうちに、フリーランス という生き方とか、ライターという職業が自分に合っているんじゃないかな?と思うようになっていきました。

 


どのようにしてライターになったのか? 小林さん自身による記事はこちら


ライターとして独立してから草加との関わり

草加には、公務員時代から住んでいました。当時、東京国税局が大手町にあったので、大手町駅まで乗り換えがなく通えるところで、家賃も比較的手頃だったので、草加に家を購入しました。10年ほど前のことです。

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つなぐばに入って驚いたのは、入居者に男性が一人もいなかったこと。

フリーで仕事を始めた当初は、家や駅前のカフェなどに行って仕事をしていました。
しかし、家やカフェではなかなか落ち着いて仕事ができなかったので、草加のコワーキングを探していたところ、「シェアアトリエ つなぐば 」を、今まさに作ろうとしているところだと知りました。早速、連絡して、説明会を聞きに行き、入居することになりました。

 

ただ、来てびっくりしたのは、入居者が女性しかいなかったんですよね。

 

この場所(つなぐば)はもともと、「子連れでで働けるシェアアトリエ」というコンセプトで作られた場所なので、最初の入居者の方は全員女性で、男性は自分一人だけだったんです。笑
少しびっくりしましたけど、今は二人目の男性の入居者の方も来て、だんだんと慣れていきました。

 

草加の人たちとのつながりができた。

この場所(つなぐば)で仕事をしていると、ライターであるということで、人を紹介していただいたり、仕事を依頼されることが時々あります。市役所の方がご飯を食べに来られたりするので、市役所の仕事に繋がることもありました。

また、公務員の頃は、民間の人に口外してはいけないことがあったりするので、気をつけながら話をしていたのですが、今は気にせずに、お付き合いできているのがいいなと感じています。

以前、勤めていた時は草加で寄るところと言ったら、帰り道にあった定食屋さんか、駅前の本屋さんくらいでした。

それが今では、一緒にいく人が増えた影響なのか、飲みにいくお店が増え、草加にこんなにたくさんの飲食のお店があることを知りました。

草加の色々な人と繋がることにより、それまで、草加の街で起こっていることを何も知らなかったんだなということに気づきましたね。

 


「流れに身を任せるタイプ」とご自身を分析する小林さん。しかし、これまでのお話しを伺うと、自ら一石投じることで、その流れの方向を少しずつ変えながら、進んでいるように感じました。

ビジネススクールの原体験ワークで感じた「小説をやりたいんじゃないか?」という流れに、今後向かう可能性もあるのかもしれない。まだまだ、これからも小林さんのストーリーは続いていきそうですね。

 

インタビュー場所

シェアアトリエつなぐば 〒340-0006 埼玉県草加市八幡町935−4