草加市の子ども会で育った子供達が、社会に出てからも自分で考えて行動できる大人になってほしい。

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小学生の時から入っていた子ども会を卒業後、草加市の子ども会の連合会所属の学生ボランティアとして活動。高校3年生の時に、子ども会がなくなってしまった地域の子ども達が利用できる子ども会を立ち上げようと、学生ボランティアの仲間達と切磋琢磨して、翌年「草加市子ども会」を設立し、初代会長に就任。今は、草加市のすべての子ども会を束ねる草加市子ども会育成者連絡協議会(以下草子連)の副会長として子ども会をサポートし続ける安高さんにお話を伺いました。


 

子ども会で育った子ども達が社会で活躍してほしいと思っています

記者:安高さん(以下、敬称略)はどんな夢をお持ちですか。

安高:子ども会で育った子ども達が活躍してほしいですね。社会に出てからも自分で考えて行動できる人になってほしい。

今は私は草子連の活動がメインなのですが、キャンプに行ったり、お祭りで子供たちがお店をだしたり、クリスマス会や、小学生が対象で楽しめる事業を草子連がやっています。私が学生時代に立ち上げた「草加市子ども会」は、今も草子連の中高大学生のボランティア・ジュニアリーダーが中心になって運営しており、草子連の事業の企画・運営もジュニアリーダーが中心となって行っています。「草加市子ども会」では、小学生は体験活動として成長して、中高大学生は企画運営することで成長する、という活動になっています。

 

記者:すごく自立心が育ちそうですね。子ども会というのはみんなそういう感じなのですか?

安高:草加の子ども会は全国的にみても特徴があるというか、県で高校生の研修があるのですが、草加の子が参加すると、「草加は独特だ」とみんなが口々に言うそうです。普通は保護者の方が中心に運営して高校生くらいが手伝いをする、という形が全国的な子ども会のあり方ですけれど、草加は中高大学生が中心になっています。

というのも私が学生ボランティアしていたときに子ども会がどんどん減っていました。子どもの力で子ども会を維持したいと思っていた時に、役所の方からも何かアイデアはないかと聞かれて、考えていたことを話したら面白いね、と言ってもらって、学生ボランティア中心に維持していくことになりました。

 

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BBQイベントでは中高大学生が主体となり動いていました

 

高校生の時に、草加市子ども会を立ち上げることに

記者:すごいですね。では特徴ある子ども会になったのは安高さんが始められてからなんですね。

安高:私が高校1、2年生くらいの時に埼玉県の高校生の研修に参加したのですが、その時、他の市町村の取り組みが素晴らしいな、と感じました。他の自治体は30人ほど中高大学生のボランティアがいるのに、草加は5人くらいしかいなかったので、そういう状態も改革したいと思っていました。当時学生7人で子ども会を立ち上げようとなったのですが、そのうち3人が私の兄弟でした(笑)。私が初代会長で、のちにすぐ下の弟が2代目会長になりました。一番下の弟も当時はジュニアリーダーでした。兄弟仲良くやっていましたが、血気盛んな年ごろというのもあり、喧嘩も多くて、弟たちに聞くと「目が合うとぶん殴られた」と(笑)。当時会長が抱える仕事も結構あって、抱えきれなくなると弟に投げたりしました。弟たちは中学生だったからできることが限られているのですが、私もストレスが溜まっていたので「なんでお前らやらないんだよ!」とストレスをぶつけることもあったので恐怖だったのかもしれません(笑)。

 

記者:組織をつくるって大人でも大変ですものね。

安高:保護者の方との関係も大変でした。昔の私は理想の子ども会があって、子どもが考えて子どもの力でなんでもやっていきたいと思っていたので、助言をくださろうとする保護者の方々ともめたりもしました。でも一方で保護者の方を巻き込みたいとも思っていました。というのは子ども会を維持するだけでなく新しい子ども会を増やしたいというのがあったので、中高大学生だけで今の子ども会を存続させることはできても、増やすことは難しかったのです。保護者の方と一緒に活動することで、ノウハウを伝達して、新しい子ども会を独立させてほしいという考えがあったのですが、当時の立ち上げメンバーは、草子連の事業に子ども達を参加させてあげたい思いで参加してくれていたので、保護者を巻き込む、というところまではうまくいきませんでした。

 

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BBQイベントでの安高さん

 

自分が親になり、保護者の気持ちも理解できるようになりました

記者:色々な苦労を重ねて、一番変化されたところはどこだと思いますか?

安高:設立した当時は理想を押し付ける、というか独裁的な面が強かったかと思います。弟に対してもそうですし、保護者の方に対しても「最後は俺が決めるのだ」みたいな。舐められたくないというのもあったし、大人への反発心でつくったというのもあるので。でも今は理想と現実の違いも知ったし、親にもなって子育ての大変さも理解したのでマイルドになりました(笑)。

 

記者:それにしても高校生で既に子ども会の維持を考えていたというのがすごいと思います。どんな子ども時代だったのですか?

安高:やんちゃをしている子どもでした。ちょっとした悪さがばれてしまって中学校の時は週に一度くらいは職員室に呼ばれて、月に一回は親が呼ばれて、という感じでした(笑)。学校生活自体は友達もいて楽しかったですが、中学2年まで入っていた部活の顧問が理不尽な人だと思ってそれに腹を立てて、部活をやめる前後くらいから荒れだしました。尾崎豊さんの『卒業』の歌詞のまんまでしたね。どうしても中学生だから子ども扱いされて、できないことも多いし、大人に対して反抗心がありました。でも、子どもが好きで、ジュニアリーダーの活動をやる中で自分より年下の子どもの前ではちゃんとしなきゃいけない、と思っているうちに自分自身も成長できた気がしたので、そういう成長の場をなくしたくないな、とも思っていました。

 

初めて、草加市子ども会卒業生から会長が誕生しました

記者:現在、子ども会の6代目会長さんは、安高さんの立ち上げた子ども会の卒業生とお聞きしましたが。

安高:はい、新会長は、草加市子ども会設立2年目に小学校一年生で入ってくれた子です。当時はかなりのやんちゃ坊主でかなり手を焼きましたが、草加市子ども会の歴史とともに育ってきた、草加市子ども会の申し子ともいえる子で、ずっと一緒に活動してきた弟のような、息子のような存在です。

今回、草加市子ども会史上、はじめて子ども会卒業生から会長が誕生することになり、設立から14年、ずっと夢見ていて待ち続けていたことだったので、とても感慨深いです。彼と出会った時の私の年齢がちょうど今の彼と同じ年齢だというのもなんだか運命的なものを感じます。草加市子ども会の魅力を一番知っている会長なので、今後、さらに進化した活動となっていくのではないかと期待しています。

 

記者:新会長さんのお話、聞いていて私まで嬉しくなりました。安高さん、今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。

 

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新会長と一緒に

 

撮影場所

そうか公園 BBQ場 〒340-0001 埼玉県草加市柿木町